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なぜ、DeNAの池田純社長はたった5年でチームを去るのか。「僕は執着が嫌い。面白いものを創造できなくなる」

DeNAの若き経営者・池田純氏が2016年10月16日付で球団社長を退任した。横浜DeNAベイスターズを黒字に変えるなど、たくさんの改革を実行してきたが、なぜこのタイミングだったのだろうか。

2016/10/17

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再建・再生のプロとしてのプライドがあるからこその決断

 極めつけは、2011年は24億の赤字だった球団を、今シーズン初めて黒字化の見込みとしたことだろう。この非の打ちどころのない成果に加え、昨年まで最下位争いをしていたチームも着実に地力をつけ、今シーズンは史上初めてCS(クライマックスシリーズ)に進出し、読売ジャイアンツを破りファイナルステージまで駒を進めている。
 
 CSファーストステージで東京ドームへ詰めかけた、レフト外野席から三塁側を横浜ブルーに染めたファンたち。その光景を見て池田氏は感動したという。選手たちの頑張りはもちろんだが、池田氏や球団スタッフの尽力なくして実現しなかっただろう感動的なパノラマがそこには広がっていた。
 
 現在、球団経営も軌道に乗り、チームも発展の途上にある。1998年以来のリーグ優勝も現実味を帯びてきたこの時期、なぜ一線を退くのか? 池田氏は、次のようなことを語っている。
 
「僕は何事であっても“執着”するのが嫌いなんです。経営者として立場にあぐらをかいてしまったり、攻める気持ちを失ってしまってはダメ。だから筒香(嘉智)の気持ちが分かるんですよ。筒香は自分が成長するためにわざわざ“居心地の悪い場所”を求めてドミニカのウィンターリーグに行ったじゃないですか。僕も似たところがあって、最近、居心地が良くなってきてしまっている。こうなると執着が生まれてしまうんですよね。はっきり言ってそうなると面白いモノが創造できなくなってしまうんですよ」
 
 通常、がんばって成果を出し、立場を強固なものにすると、そこに既得権が生まれる。いつしか人はそれに執着し、保身に走り、クリエイティヴではなくなる。
 
 当然、池田氏はそれを良しとしない。自分はあくまでもターンアラウンドを持ち味とした再建・再生のプロである。ゆえに自分が手がけてきたものが軌道に乗ったときこそ、次のフェーズへ行くタイミング。また企業再建の観点から業績が上向きであれば引き継ぎにあたり支障ないが、もし業績が下向きになったときだと経験上、苦難を伴うことを理解している。
 
 考えてみれば池田氏は、ファンサービスと地域密着を柱に掲げた球団がやれるであろう、地元横浜の行政や政財界を巻き込んだ大仕事をほぼ終わらせている。
 
 まず黒字化へ必要不可欠である球団と球場の一体化経営を実現させるためにTOBを行い成功させた。同時に、横浜スタジアムの改築予想図を発表しファンに魅惑的な夢を与えると、2020年の東京オリンピックにおける野球・ソフトボールの主会場に選出されるに至った。さらに横須賀市とはファーム施設・機能強化に関する基本協定書を締結している。
 
 池田氏がこの球団に来たとき、地元行政や政財界とのパイプはほぼ途絶えていた状態だったという。スタジアム周辺を元気にし、愛される球団を目指すには、地元との関係は当然のように良好でなければならない。池田氏は連日のように行脚し、話を傾聴し、理解を求めた。その甲斐もあって、ようやく今ではDeNAは横浜を象徴する存在と認められ、協力的な関係を築けているのだという。
  
 そんなやりとりのなかで池田氏は、印象的な一言を耳にした。
 
「初めの頃は30代半ばですから、若いこともあり生意気だと思われたこともありました。けど最近になって、ある政財界の方から『オマエのことは嫌いだったが、見事だった』と言われたのが一番嬉しかったかな」
 
 常にファンを笑顔に、横浜を元気に、強いチームを、と頑張ってきた5年間。誰よりもチームを愛したからこそ、もうここにしがみつくわけにはいかない。今となっては不確定要素が多くいつ実現するかわからないリーグ優勝も、4年後の東京オリンピックも、池田氏にとっては執着になってしまうのだろう。
 
 いつだか、こんなことも言っていた。
 
「僕はあとから“オレが○○をやったんだ”と言うような経営者だけにはなりたくないんですよ」
 
 成果をあとから誇示するような人間にはなりたくない。だからこそ今を生きる。退任することは1月に決めたという。今後は何をするかは白紙だ。次に何をやるか決まった状態、つまり保険が用意された環境で、攻めの球団経営などできるはずがない。ちなみに5年前の球団社長就任時に、親会社の㈱ディー・エヌ・エーを辞めている。つまり球団社長を退任した現在は無職であり、まさに退路を断っての球団経営だった。

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