大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



成功事例は少。クローザーから先発転向に挑戦する藤川球児

今季、阪神に復帰した藤川球児が、先発で再起を図る方針だ。過去に同様のようなケースで成功した投手はいるのだろうか。

2016/02/20

text By



大野、佐々岡はチーム事情で度々の配置転換に

■1995年 大野豊(広島)
 大野は1976年にドラフト外で広島に入団。1984年に最初の先発転向。87年、88年には13勝をあげ、88年には最優秀防御率に輝く。91年にクローザーへ転向、4年で18勝8敗93セーブ、91年はセリーグ最多の26セーブをあげて広島のリーグ優勝の立役者になった(92年も26セーブ)。しかし95年に不調もあり再び先発へ転向。以後5年で24勝17敗4セーブを挙げた。1997年には42歳で最優秀防御率のタイトルも獲得している。
 
■1999年 赤堀元之(近鉄)
 1988年にドラフト4位で入団、10年間で54勝40敗139セーブ、最優秀防御率1回、最優秀救援投手5回受賞。まさにパリーグを代表するクローザーだった。しかし98年に故障もあり、シーズン終盤に先発へ転向(完封勝利をあげている)。
 翌99年は先発として2連勝と幸先良いスタートを切ったものの、6月に右ひじ靱帯断裂が明らかになり、トミー・ジョン手術を受けた。
 その後、本格復帰とはならず99年以降は4勝5敗に終わった。2004年を最後に引退。
 
■1999年 佐々岡真司(広島)
 1989年にドラフト1位で入団。1年目は先発・リリーフと大車輪の活躍。2年目の91年は17勝、防御率2.44と先発の柱に成長。最多勝利、最優秀防御率の二冠に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。さらにMVP、沢村賞も獲得した。
 93年までは主として先発だったが、94年のシーズン途中からクローザーへ(95年は開幕は先発スタートも途中でクローザーへ。96年は開幕からクローザー)。4年間で24勝28敗67セーブを記録。
 しかし98年に再び先発に転向し99年には15勝をあげる。00年も以降も先発スタートもクローザーの不振で再転向するケースがたびたびあった。98年以降は、67勝80敗22セーブを記録。先発でも救援でも力を発揮するタイプで、大きなギャップはなかったようだ。
 
■2008年 上原浩治(巨人)
 1998年にドラフト1位(逆指名)で巨人に入団、エースとして沢村賞2度、102勝54敗の成績を上げる。2007年にクローザーに転向、4勝3敗32セーブを記録。翌2008年も救援登板が続くが、シーズン途中で先発へ復帰。好成績を残した。
 翌年からはMLBへ挑戦。オリオールズ入団当初は先発投手も、のちにセットアッパー、クローザーへ転向、MLBを代表する救援投手の一人になった。抜群の制球力の持ち主である上原は、先発でも救援でも好成績を残している。
 
 昨年引退した高橋尚成も2006年に巨人でクローザーになり15セーブを挙げたが翌年、先発に復帰し14勝を挙げている。近年では、DeNAの山口俊が記憶に新しい。2005年に高校生ドラフト1巡目で横浜に入団。4年目のシーズン終盤からクローザーとなり、8年間で17勝28敗111セーブを挙げたが、2014年5月に先発に再転向。しかし2年で11勝11敗に終わっている。
 
 上原や高橋尚成のように、先発投手が短期的にクローザーになり、すぐに復帰する場合は、成功することが多いが、ずっとクローザーでやってきた投手が先発で成功する例はそれほど多くない。
 
 一方で、大野豊のように見事に成功した例もわずかながらある。
 
 ちなみに藤川自身は「もともと先発投手のほうが好きだった」と語っている。昨年6月には、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスへ移籍。公式戦で2完投1完封を記録。スタミナがあることをアピールした。NPB史上ではレアケースともいえる藤川の挑戦は成功となるだろうか。

1 2