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ドラフトの「注目の的」…6球団以上から重複指名を受けた選手たち。今年のドラ1は何球団競合に?

2023/10/16

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産経新聞社



福留孝介(7球団競合)


 
出身:鹿児島県
投打:右投左打
身長/体重:182cm/90kg
生年月日:1977年4月26日
ドラフト:1998年ドラフト1位
 

 2022年シーズン限りでの現役引退を発表し、惜しまれる声が多数上がっている選手が、中日ドラゴンズや阪神タイガースで活躍した福留孝介だ。
 
 PL学園高校(大阪府)では2年春・3年春・3年夏に甲子園出場。中でも3年夏(1995年)の福留は、2打席連続ホームランを放つなど鮮烈な印象を残す。ショートの守備にはやや不安もあったと言われているが、それでも重複指名は間違いないと言われるほどの打撃センスを備えていた。
 

 
 プロ志望届を出した福留に対して、ドラフト1位で指名したのは7球団(近鉄・中日・日本ハム・巨人・オリックス・ヤクルト・ロッテ)。「巨人または中日以外であれば社会人に進む」と公言した福留の意志とは裏腹に、当たりクジを引き当てたのは当時近鉄の監督だった佐々木恭介だった。
 
 福留は公言通り近鉄への入団拒否を表明。そして、既定路線となっていた社会人(日本生命)に進んだ。この判断に関してはさまざまな声があったというが、それほど福留の意志が強かった表れとも言えるだろう。
 
 3年が経過した1998年、福留はドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。意中球団への入団が実現した福留は、1年目から規定打席に到達して打率.284・16本塁打を記録し、即戦力として活躍を見せる。2002年は打率.343、2006年は打率.351を残して首位打者にも輝いた。2006年の福留といえば、やはりWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でのホームランが思い出されるプロ野球ファンも多いはずだ。
 
 大会を通してなかなか数字が伴わない福留は、準決勝の韓国戦でベンチスタート。0-0のまま試合が進んだ7回表、1アウト二塁のチャンスで王監督は代打に福留を送った。そして、福留の放った打球はライトスタンドに着弾。「生き返ったぞ福留」という実況とともに、現在でもこのシーンは語り継がれている。
 
 2008年からはメジャーリーグでもプレーし、阪神でも活躍したのちに2021年から古巣・中日に復帰。2022年限りで現役生活に別れを告げた。

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