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故障さえなければ…歴代“ガラスのエース”5人。けがに泣かされた一流投手たち

2024/03/09

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産経新聞社



伊藤智仁

 先発・リリーフの両輪で活躍したヤクルト・伊藤智仁も、”ガラスのエース”と言える1人だろう。社会人野球・三菱自動車京都(現在は廃部)でプレーしていた1992年には、バルセロナ五輪の日本代表に選出。1大会(3試合)27奪三振の快投を披露し、銅メダル獲得に大きく貢献した。
 
 大きな期待を背負って入団した伊藤は、1年目からエースとして君臨。夏場に離脱して規定投球回には届かなかったが、14試合(109回)を投げ、7勝2敗、5完投4完封、126奪三振、防御率0.91と圧巻の成績を残し、新人王に輝いた。
 

 
 しかし、ルーキーイヤーに痛めた右肩の状態が思わしくなく、翌年から2年連続一軍登板なし。その後はリリーフに活路を見出し、1997年は34試合登板で7勝2敗19セーブ、防御率1.51と復活を遂げ、カムバック賞を受賞した。
 
 1998年からは先発に復帰し、3年間で22勝を挙げたものの、2001年に右肩・肘痛が再発。リハビリに努めて2003年の2軍戦で登板を果たすが、満身創痍の状態だったことは明らかだった。同年限りで引退を表明した伊藤。2021年からはヤクルトの一軍投手コーチに就任し、指導者として日本一達成に尽力した。

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