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プロ野球史上最高の外国人選手5人。歴代最強の“大当たり”助っ人野手は誰?

2023/02/12

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産経新聞社



ロベルト・ペタジーニ

投打:左投左打
身長/体重:185センチ/84キロ
生年月日:1971年6月2日
経歴:アントニオホセ大-アストロズ-パドレス-メッツ-レッズ
 
 主に4番として打線を牽引したペタジーニ。本塁打、打点だけでなく、打率でも高い成績を残した。
 
 ベネズエラ出身、アントニオホセ大から、1990年にヒューストン・アストロズと契約。94年に同球団でメジャーデビューし、以降サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、シンシナティ・レッズでもプレーしたが、マイナー3Aクラスと行き来し、メジャーに定着することはできなかった。
 
 ヤクルトでは1999年からプレーし、主に4番ファーストとして初年度から大活躍を見せた。最終的に打率.325、44本塁打、112打点をマーク。松井秀喜(当時巨人、42本)との壮絶な争いを制し、本塁打王を獲得した。タイトルを獲った本塁打や、リーグ4位の打率、同2位の打点もさることながら、出塁率と長打率はリーグトップ。来日1年目から球界最強打者となった。
 
 以降も打線の核としてチームを牽引。特に2001年には打率.322、39本塁打、127打点をマーク。最多本塁打、最多打点、最高出塁率(.466)、最高長打率(.633)と出色の数字を並べ、チームを日本一へと導きシーズン最優秀選手(MVP)に選出された。在籍4年すべてで大活躍し、OPSは一度も1.000を切らなかった(最高:99年の1.146、最低:00年の1.033)。また、一塁守備にも定評がありゴールデングラブも3度受賞(2000~2002年)するなど攻守に圧倒的な貢献度を誇った。
 

 
 03年には巨人へ移籍。初年度は、清原和博がファーストを守ったため主にレフトに就き、規定打席に到達しなかったものの、打率.323、34本塁打、81打点をマークする活躍を見せた。規定打席に不足する分をすべて凡打として扱った上でも、出塁率、長打率はリーグトップの数字で、“歴史上最強の規定打席不足打者”であった。しかし、ファーストを守った2年目は、規定打席には達したものの、来日後自己最低となる打率.290、29本塁打の成績。高い年俸もネックとなり、同年いっぱいで退団となった。その後はメジャーリーグ、メキシカンリーグ、韓国球界を経て、10年にソフトバンクでNPB復帰。しかし、全盛期には遠く及ばない数字で、在籍は1年限りとなった。
 
 NPB通算成績は、837試合出場、打率.312、882安打、233本塁打、635打点、24盗塁となっている。

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