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平松政次、谷沢健一、池谷公二郎ら後の名選手も……「入団拒否」は珍しくなかった、かつてのドラフト

22日にドラフト会議が行われる。今ではドラフトで指名を受けた選手は入団を拒否するケースはめったにない。しかしドラフトが始まった時期を中心に指名を拒否されるケースは珍しくなかった。

2015/10/21

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近年の入団拒否のケースは?

 ちなみに近年、主な入団拒否の事例はこのような形になる。
 
 87年以降は、主に巨人への入団を希望してそれ以外の球団への入団を拒否した例が多い。
 89年にはダイエーに1位指名された上宮高校の元木大介が、入団拒否。翌年、巨人から1位指名されている。
 
 90年、ロッテに1位指名された亜細亜大学の小池秀郎も「西武、ヤクルト、巨人以外ならプロ拒否」と事前に表明していたため松下電器に進んだ(のち近鉄入団)。
 
 95年、近鉄に1位指名されたPL学園の福留孝介は「中日・巨人以外なら社会人」と宣言し入団拒否し、日本生命に進む(99年逆指名で中日入団)。
 
 2000年、オリックスが1位指名した内海哲也も祖父が巨人の選手だったことから「巨人以外は拒否」と東京ガスに進んだ(2004年自由枠で巨人入団)。
 
 さらに2006年、日本ハムから4巡目指名された日大の長野久義も「巨人以外は拒否」と本田技研に進み、2008年ロッテから2巡目で指名されたが再度入団拒否。翌年ドラフト1位で巨人に入団した。
 
 そして前述した2011年の東海大の菅野智也も、叔父の原辰徳が監督を務める巨人への入団を希望。1年浪人して入団した。
 
 昔の「入団拒否」とは全く動機が違うことがわかる。
 しかしこうした選手は例外だ。
 
 自由枠がなくなった今、ドラフトで指名されても拒否するケースは菅野以外はない。今年も指名を受けた選手は入団という流れになるのではないだろうか。

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