大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



平松政次、谷沢健一、池谷公二郎ら後の名選手も……「入団拒否」は珍しくなかった、かつてのドラフト

22日にドラフト会議が行われる。今ではドラフトで指名を受けた選手は入団を拒否するケースはめったにない。しかしドラフトが始まった時期を中心に指名を拒否されるケースは珍しくなかった。

2015/10/21

text By



指名を受けた球団にそのまま入団していたら……

 巨人でさえも10人に3人は入団拒否をしていた計算になる。1973年にはドラフト1位で指名した熊谷組の小林秀一(投手)が入団拒否している。
 
 パリーグの球団はさらに大変だった。近鉄は1966年の1次ドラフトで11人を指名して10人から入団拒否をされたこともある。
 
 入団拒否をした顔ぶれを見ると、1965年中日4位指名の平松政次、同年阪急4位指名の谷沢健一、1967年西鉄11位指名の山田久志、1971近鉄7位指名の池谷公二郎のように、後に他球団で球史に残る大選手になった人もいる。
 彼らが最初に指名された球団に入っていたら、野球史は変わっていただろう。
 
「ドラフトに入団拒否はつきもの」だったのが、初めて入団拒否ゼロになったのは1987
年のこと。立浪和義、武田一浩、伊良部秀輝、先日物故した盛田幸妃らが入団した年だ。

1 2 3