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常にV争いの原動力に 今季はリリーフ3本柱、当たり助っ人を輩出し続けるヤクルト

今季はロマン、オンドルセク、バーネットの助っ人リリーフ3人がブルペンを支える活躍を見せているヤクルト。過去にもラミレス、ペタジーニや多くの優良助っ人を輩出してきた。

2015/09/07

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ヤクルト優勝時には必ず助っ人が活躍

 ラミレスとともに2001年の日本一に貢献したのがロベルト・ペタジーニだ。

1999年入団 837試合 打率.312(2830-882) 233本 635打点 OPS1.051

 入団1年目から44本塁打を放ち本塁打王を獲得したほかリーグトップの114四球も記録。3年目には本塁打王(39本)、打点王(127打点)の2冠を獲得する活躍で日本一に貢献、MVPにも選ばれた。

 2003年に巨人へ移籍すると、故障や守備位置に悩まされながらも打棒は健在。2010年には6年ぶりに日本球界に復帰してソフトバンクに入団した経緯もある。

 ヤクルト来日4年間で160本塁打のパワーに加えて抜群の選球眼を誇り、2度の最高出塁率をマーク。来日から5年連続でOPS1.000以上はペタジーニただ一人だ。

 プレーとともに有名なのが元は友達の母親だったという25歳年上の奥さんオルガ夫人との熱愛ぶり(現在は離婚)。契約更改にも同伴させるおしどり夫婦ぶりは大きな注目を浴びた。

 ヤクルトの助っ人といえば外せないのが「赤鬼」の異名を取ったチャーリー・マニエルだ。

1976年入団 621試合 打率.303(2127-644) 189本 491打点 OPS.988

 73、74年に問題行動の限りを尽くしたジョー・ペピトーンによる日米関係悪化を懸念したドジャースオーナーのピーター・オマリーがヤクルトに勧めたのがこのマニエル。

 来日1年目は振わずも、2年目には42本塁打、3年目には.312、39本塁打、107打点の活躍でチーム初の日本一に貢献。翌年から移籍した近鉄では2年連続本塁打王に加え、移籍1年目の79年には97試合の出場ながらMVPも獲得。引退後はフィリーズで監督を努め通算1000勝、日本野球経験者ではデーブ・ジョンソン以来となるワールドチャンピオンにも輝いた。

<その他の主な優良助っ人>
ルー・ジャクソン 329試合 打率.257 68本塁打 181打点(66~68年)
抜群の俊足と強肩から「褐色の弾丸」の異名。ヤキトリとビールの偏食がたたり現役中の69年に膵臓壊死でこの世を去った。

デーブ・ロバーツ 814試合 打率.275 183本塁打 492打点(67~73年)
外国人選手として初の100本塁打。「日本人以上の日本人」と非常に信頼されていた。

デーブ・ヒルトン 251試合 打率.284 38本塁打 128打点(78~80年)
初優勝時の核弾頭。独特のバッティングフォームと全力プレーで人気に。

ボブ・ホーナー 93試合 打率.327 31本塁打 73打点(87年)
全米1位指名、メジャー通算218本の超大物。デビュー4試合で6本塁打の活躍で「ホーナー」旋風起こすも1年で退団。

ジャック・ハウエル 405試合 打率.291 100本塁打 272打点(92~95年)
1年目に首位打者、本塁打王の2冠でMVP。2年目にはサヨナラ弾5本の勝負強さで優勝の立役者に。

テリー・ブロス 89試合 30勝28敗 防御率3.70 (95~98年)
1年目に14勝をあげ防御率2.33でタイトル獲得。この年ノーヒットノーランを含む5勝0敗と巨人をカモに。

ドゥエイン・ホージー 244試合 打率.267 51本塁打 142打点(97~98年)
キャンプで酷評されるも1年目は38本塁打で優勝に貢献。20盗塁の足と明るい性格でも注目を集めた。

アダム・リグス 316試合 打率.281 59本塁打 168打点(05~08年)
2年目に「攻撃的2番打者」として39本塁打、94打点。3年目以降は鳴かず飛ばず。

セス・グライシンガー 139試合 64勝42敗 防御率3.16(07年~13年)
1、2年目に2年連続最多勝、最多投球回。巨人、ロッテ含むセパ3球団で二桁勝利。

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