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井口資仁、中村紀洋がメジャー挑戦、井口は日本人選手初のワールドチャンピオンに――日本人野手のメジャー挑戦を振り返る【2005年編】

2020/07/07

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飛躍を遂げた田口壮と、けがに泣いた松井稼頭央

 飛躍の1年となったのが、田口壮だ。
 
 メジャー4年目を迎えた2005年は、前年の活躍から首脳陣の信頼も厚く、期待がかかるシーズンとなった。
 
 途中出場も多かったが、開幕から多くの試合に出場。様々な起用法に対応し、アピールを続けた。特に8月は12試合連続安打をマークするなど好調を維持し、スタメン出場も増加。以降はクリーンアップを任されるなど、チームの2年連続地区優勝に大きく貢献した。
 
 最終的に自己最多の143試合に出場。打率.288、8本塁打、53打点、OPS.734の好成績を残した。また、持ち味の勝負強さも健在で、4割を超える得点圏打率をマークした。
 
 対照的な成績となったのが、松井稼頭央だ。
 
 メジャー2年目を迎えた松井稼は、遊撃から二塁へコンバート。開幕戦では「2番・二塁」でスタメン出場を果たし、2年連続初打席本塁打を放ち、最高のスタートを切った。
 
 しかし、6月の試合で守備時に二塁ベース上で交錯し、負傷交代。故障者リスト入りとなると、長期離脱を強いられた。復帰後はそれまでの鬱憤を晴らすかのように打撃好調を維持したが、今度は足に違和感を覚え、欠場が続いた。
 
 最終的に打率.255、OPS.652をマークしたが、87試合の出場に留まった。2005年はけがに泣く悔しいシーズンとなった。

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