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「ドジャース愛を貫いた」は違う? ジャッキー・ロビンソン引退の真実【豊浦彰太郎の Ball Game Biz】

ジャッキー・ロビンソンはその存在自体が神格化され、実態がわかりにくくなっている部分は否めない。その引退も移籍通告を拒否した後だったため「ドジャース愛を貫いた」と考えられがちだが、事実は異なるようだ。

2015/04/30

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若くしてこの世を去る

『ルック』への引退記事掲載が1月だったため、ロビンソンはそれまで引退を公表できなかった。しかし、ドジャースのバジー・ババージGMは「年俸吊り上げを狙っている」とメディアに語り、彼を激怒させた。もちろん事実は異なり、ロビンソンはジャイアンツのホーレス・ストーンハム・オーナーに「引退とトレードは関係ない」という主旨の手紙を送っている。
 
 引退後はビジネス界だけでなく、公民権運動にも積極的に参加。全米黒人地位向上委員会の自有基金運動の議長にも就任した。62年には黒人選手として初の殿堂入りを果たし、72年には背番号42がドジャースの永久欠番となった。
 
 しかし、幸せいっぱいの第2の人生というわけでもなかった。彼自身は糖尿病に苦しみ、二男一女の子どものうち長男のジャッキー・ジュニアは精神的に不安定だった。これは、父の存在があまりに巨大だったことと、成功した黒人の常として黒人街ではなく、郊外の高級住宅地という周囲に白人しかいない環境で育ったことの孤独感も影響したと言われている。
 
 その後、ジャッキー・ジュニアは閉塞状態からの脱出を求め軍隊に志願もベトナム戦争で負傷。除隊後は薬物依存に苦しみ、24歳だった71年に交通事故で死亡した。ロビンソン自身も、翌年に53歳の若さで心臓発作によりこの世を去った。
 
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