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ロイヤルズと契約、16歳の結城海斗。中卒でのメジャー挑戦は是か非か、10代マイナーリーガーを振り返る

2018/07/18

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MLB公式サイトのスクリーンショット/Satoshi Asa



マイナーリーグから日本プロ野球入り、山口鉄が成功パターン

 モントリオール・エクスポズと契約した横浜東高出身の篠塚岳大という選手は、1995年にドミニカのアカデミーが行うルーキー級のサマーリーグに配属された。以降、これまでに19人の選手が10代でMLB球団とマイナー契約を結んだ。ルーキーリーグから1Aに昇格したのはわずか2人だが、日本に戻ってプロ入りした者もいる。
 
 1997年に神奈川の名門・桐蔭学院高を卒業した吉田好太は、アスレチックスと契約。ルーキーリーグで48試合に出場し、打率.238だったが、帰国後に近鉄から8位指名を受けてプロ入りした。4年間で1軍出場はわずか1試合。打席に立つことなく球界を去った。
 
 また現在、東京ヤクルトスワローズに所属する沼田拓巳は、大学進学後まもなく中退。社会人クラブチームでプレーしていたところ、2013年の秋にドジャースとマイナー契約を結んだ。沼田は2シーズン目の途中でリリースされ、帰国。独立リーグ・ルートインBCリーグでプレー後、2017年秋のドラフトでヤクルトから8位指名を受けた。
 
 沼田はいまだ1軍デビューしておらず、唯一の成功者と言えるのが読売ジャイアンツの山口鉄也だ。2002年に横浜商高を卒業し、同年シーズンから4シーズンをアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のルーキーリーグで過ごした。3年目にルーキーリーグでも上位リーグで6勝を挙げたが、1Aに昇格できず帰国を決意した。巨人の育成契約を勝ち取り、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、セットアッパーとして米国に“凱旋”し、日本代表の連覇に貢献した。
 
 山口が渡米していた時期と重なる1998年から2003年は、MLB球団が日本で盛んにスカウティングをしていた時期だ。10代に限らなければ、25選手がマイナー契約を結んだ。1998年は7人、2002年は6人、その翌年は5人だった。
 
 思い起こせばハマの大魔神・佐々木主浩がメジャーに挑戦したのが2002年、その翌年にはイチローと新庄剛志が海を渡って活躍した。テレビ番組でも米国挑戦をうたう視聴者参加番組が放送されるなど、世は“メジャー狂騒曲”だった。

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