データやコラム、多角的な視点で野球の魅力を発信!ベースボールチャンネル(BaseBall Channel)



大谷翔平の前にも存在したエンゼルス「二刀流」の“先輩” 投手&野手で歴史刻んだ男とは

2018/05/21

text By

photo

Getty Images

タグ: , , , , , ,



「ワンダフル」1964年からエンゼルスでプレー

 野球は記録のスポーツとも言われる。そして、センセーショナルな新星の登場は、歴史を掘り起こさせる。ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手の活躍により、歴史の狭間に埋もれていた二刀流選手を、現地紙『ロサンゼルス・タイムズ』が紹介した。
 
 18日付の同紙では、「彼がエンゼルス初の二刀流選手だ」とウィリー・スミス氏の存在を特集。「ワンダフル・ウィリー」の愛称で親しまれ、エンゼルスでは1964年から3シーズンプレーした。
 
 黒人だったスミスは、当時大リーグよりもレベルは上とも言われていたニグロ・リーグ出身。63年にデトロイト・タイガースでメジャーデビューし、64年4月28日にトレード移籍してきた。左投げ左打ちで当時25歳だったスミスは、最初の1カ月は中継ぎ左腕としてプレー。防御率1.65を記録した。
 
 転機は6月8日のクリーブランド・インディアンス戦だった。0-2でビハインドの7回、スミスは代打起用され1点差に迫るタイムリーを放った。その裏、ビル・リグニー監督はスミスにそのままライトの守備に就かせた。試合はもつれて3-3と同点に追いつき、訪れた8回裏の守備。1死一塁で3人連続左打者を迎える場面で、監督はスミスをライトからマウンドへ向かわせたのだ。
 
 ブルペン投球もできず、マウンドで8球のウォーミングアップだけ。1人目は打ち取ったものの、2人目に勝ち越し2ランを浴び、試合もそのまま敗れた。
 
 1週間後の14日にはレフトで先発し、メジャー初本塁打。翌15日のマウンドが、このシーズン投手として最後の登板となった。16日には「4番・ライト」で出場し、以降は打者に専念することになる。
 
 この年のエンゼルスは防御率はリーグ2位の一方で、得点は最下位だった。「我々は得点するための柱を欠いていた。ウィリーはそこにフィットしたんだ」と当時の二塁手だったボビー・クノープ氏は述懐する。
 
 結局このシーズン、スミスは打手として打率.301、108安打、11本塁打、51打点と活躍。投手としても15試合で1勝4敗、防御率2.84という成績を残した。翌年以降、引退までの7シーズンで登板は68年のわずか3試合でいずれも敗戦処理に近い形で、ほぼ野手に専念した。

輝きが映し出す歴史の“輪郭”

 大谷はベーブ・ルース氏以来の二刀流選手として日米で注目を集める。確かにスミスは救援中心の起用で、二刀流併用時期も短く、10勝&10本塁打は達成していない。それでも1964年のスタッツは注目に値するし、先人が同じエンゼルスにいたことは驚きに違いない。
 
 イチロー外野手(シアトル・マリナーズ)が年間262安打の年間最多安打を記録した2004年。前記録保持者のジョージ・シスラー氏の遺族が「彼は長い間忘れられた存在だった。私たちはそのことに不満も感じていた。再びシスラー本人と彼の記録に光が当たり感謝しています」と伝えたのは有名だ。
 
 ボクサーを志し、アメフトで挫折した苦労人。スミスは06年に66歳で生涯を終えた。これからも大谷が放つ光が輝けば輝くほど、歴史の陰も興味深い輪郭を次々とのぞかせくれるであろう。