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『無知の知』を自覚せよ――「打撃伝道師」佐相監督が語る激戦区神奈川を勝ち抜く指導論<Part4>

昨年、夏としては初のベスト4入りを果たした県立相模原。強豪校の激戦区神奈川でいかにして勝ちあがっていったのか。「打撃伝道師」と呼ばれる佐相眞澄監督流の指導論をまとめた一冊、『打撃伝道師 神奈川から甲子園へ――県立相模原で説く「コツ」の教え』(佐相眞澄著)から一部抜粋で公開。

2020/02/26

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引き出しがいっぱいのままでは、新しいものを入れることはできない

 これは、指導者にも通じる話であり、「自分はこれだけのことを知っている」と思ったところで、指導力は上がっていかないものだ。私も夏の戦いが終わるたびに、「次はこれを入れてみよう」と少しずつ新しいことを加えている。
 
 指導者講習会に招かれたときも、包み隠さずに、自分が持っている理論を明かすようにしている。東林中を指導していたときから、さまざまなところから声をかけてもらっているが、はじめのうちはすべてを喋ることに抵抗があった。指導用のビデオ制作の依頼がきたときも、「すべてを話したら、勝てなくなるのではないか」と迷うことがあった。そんなときに、声をかけてくれたのが星稜中の山本雅弘先生(現・遊学館監督)だった。
 
「自分が伝える立場になれば、これまで培ってきた指導論の整理ができる。だから、積極的に受けたほうがいい」
 
 たしかにそのとおりだった。講習会でほかの指導者に伝えるためには、自分の頭の中を一度整理しなければいけない。自チームの選手を教えているときには気づかなかったことに、気づくこともできる。これまでの経験上、こちらが引き出しを開ければ、その代わりに新たな知識や理論が入ってくることが多い。引き出しがいっぱいのままでは、新しいものを入れることはできないのだ。
 
 川崎北時代から交流が始まったのが、長崎県立清峰高校の部長としてセンバツ優勝の経験を持つ清水央彦先生だ。ピッチャー育成に定評があり、今村猛投手(広島)らをプロに送り出した。その後、佐世保実の監督として甲子園出場を果たしたのち、現在は長崎県立大崎高校で指揮を執っている。「バッティング指導を教えてほしい」と、清水先生のほうから川崎北に来てくれたときはうれしかった。私がバッティングを教える代わりに、清水先生からピッチング理論を教えてもらった。そのときの教えが、今のピッチャー指導のベースになっている。
 
 じつは、昨年の12月に清水先生から声をかけていただき、2泊3日で初めて大崎まで足を運んできた。私自身、清水先生のピッチャー理論を学びたいところもあったのだが、大崎の選手を教えるなかで、バッティング指導で新たな気づきを得ることができた。今年で62歳になるが、この年になっても「無知の知」を実感する。まだまだ、知らないことばかりである。
 
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書籍情報

『打撃伝道師 神奈川から甲子園へ――県立相模原で説く「コツ」の教え』
定価:本体1600円+税
 
【昨年夏の甲子園、神奈川大会で横浜を撃破して話題に!】
 
激戦区・神奈川で強豪私学に〝打ち勝つ〟進学校
束の力で大きな成果を出す
チームを強くし、強い“個”を育てる指導論
 
スポーツ推薦なし、大所帯の部員数、短い練習時間
限られた環境下で、いかに効率のいい取り組みができるか
 
横浜、東海大相模、慶應義塾、桐光学園
神奈川の『四天王』を倒すには、打ち勝つしかない
 
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打撃伝道師 神奈川から甲子園へ――県立相模原で説く「コツ」の教え
 
 
【著者紹介】
県立相模原高等学校教諭
佐相眞澄(さそう・ますみ)
1958年8月31日生まれ、神奈川県相模原市出身。法政二高から日本体育大へ進学。強打の外野手として大学4年時に明治神宮大会優勝を果たした。卒業後は相模原市立新町中から大沢中、東林中に赴任。大沢中では1992年に全日本少年軟式野球大会で3位。東林中では1998年の全国中学校軟式野球大で3位など数々の成果を挙げた。2005年に川崎北高の監督に就任すると県立校ながら、打ち勝つ野球で2007年秋の県大会でベスト4。2012年に県立相模原高に着任。2014年夏にベスト8、同年秋にベスト4、2015年春は準優勝に導き、同校初の関東大会に出場へ導く。2019年夏はノーシードで勝ち上がり、準々決勝では横浜を打撃戦で撃破し創部初のベスト4へ進出。甲子園常連校を倒した公立校として、大きな話題を呼んだ。

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