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「家は退屈、自分はまだプレーできる」フリオ・フランコが日本に戻ってきた理由

MLB、NPBなど世界で数々の実績をあげてきたフリオ・フランコが、今季日本に戻ってきた。現在、ルートインBCリーグの石川ミリオンスターズの選手兼任監督として戦う、レジェンドはなぜ石川でプレーすることを選択したのだろうか?

2015/05/08

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阿佐智



独立リーグに話題作りは欠かせない

「日本でやりたいヤツいないかなと思って、ドミニカに行ったんですよ。最初はミゲル・テハダ(元オークランド・アスレチックスなど、メジャー通算2407安打、現メキシカンリーグ)と話したんだけど、残念ながら実現には至らなかった……。去年アメリカで現役復帰したマニー・ラミレス(元ボストン・レッドソックスなど、メジャー通算2574安打)なんかもどうかと、白羽の矢を当てたんですよ。うちでは、木田が去年46歳で投げてましたから。ならできるだろ、ってね」
 
 石川ミリオンスターズの端保球団社長は「独立リーグはどんどん話題作りしていかないといけない」と常に話している。

「大物」フリオ・フランコの入団は、こうした社長の考えに基づくものだ。

 23年のメジャー生活で積み上げたヒット2586本。首位打者、MVPに各1度ずつ輝き、その年最も打撃に優れていたメジャーリーガーに授けられるシルバースラッガー賞も5度受賞している。日本でプレーした2シーズンはともにベストナインに輝き、初来日時の1995年にはゴールデングラブ賞を受賞している。メジャーから声がかからなくなった2000年には韓国の名門、サムソン・ライオンズでプレーし、43歳で迎えたその翌シーズン、メキシコシティ・タイガースで4割越えの首位打者に輝くと、そのシーズン終盤にアトランタ・ブレーブスと契約した。その後は、ホームランを打つなど何かするたびに彼のプレーには「メジャー最年長」の枕詞がつくようになった。メジャーで最後にプレーしたのは2007年、49歳のときだった。翌年、再びメキシコでメジャー復帰を目指したが、シーズン開幕直後に引退を表明した。

 その彼が、6年の沈黙を破って昨シーズン、アメリカ独立リーグで突如として現役復帰を果たした。ホセ・カンセコなど、メジャーの大物を現役復帰させるのがお家芸ともいえるユナイテッド・リーグのフォートワース・キャッツの兼任コーチとして再びフィールドに立ったのだ。

 そしてこの春、17年ぶりにフランコが日本に帰ってきた。
 そのキャプテンシーから千葉ロッテで主将も務めたあの伝説の助っ人が、独立リーグ、ルートインBCリーグの石川の選手兼監督としてフィールドに戻ってきたのだ。

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