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衰えぬ探求心。故障を乗り越えて中継ぎのエースへ。カープ・横山竜士の「真っ向勝負」で挑んだプロ野球人生

カープの中継ぎとして活躍した横山竜士が先日、今季限りの引退を発表した。次世代エースとして期待された横山は、99年にルーズショルダーを発症。しかし、故障を乗り越えると中継ぎのエースとして活躍、苦しいチームの投手陣を支えた。そんな横山のプロ野球人生は投球スタイル同様、まさに「真っ向勝負」だった。

2014/10/03

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雑観A019

次世代のエースと期待されるも、ルーズショルダーを発症

 まさに「真っ向勝負」の野球人生だった。プロ20年間、507試合ものマウンドで死力を尽くした。打者に、真っ向勝負。そして、故障にも、真っ向勝負で立ち向かった。

 その姿はカープファンのみならず、野球ファンの胸を熱くしてくれた。

「入団した当初、まさか20年間やれるとは思っていませんでした。練習についていくのが精一杯でした」。

 1994年、横山竜士は福井商業からドラフト5位で入団した。当時の二軍監督は熱いハートと猛練習で知られる安仁屋宗八であった。走り込む、投げ込む、腹筋、背筋、夜間練習、高卒ルーキーにも厳しい練習は例外なく課せられた。

 練習に懸命に食らいつく若者の才能を首脳陣は認めていた。のちのメジャーリーガー髙橋建も7歳年下の「同期」の資質に驚いた。「ボールの速さだけでなく、質です。スピンの量が全く違っていました」と語るほどだった。

 オーソドックスなフォーム、キレのあるストレート、落差のあるカーブ、さらには闘争心、チームのエースになる要素が詰まった逸材であった。

 1997年、21歳にして10勝をマーク、ここから一気にチームの投手陣の核になるはずであった。しかし、1999年にルーズショルダーを発症。

ただ、横山という男が凄いのは、決して故障を嘆くわけではなく、故障に真正面から向き合ってきたことである。

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