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90年代のドラゴンズを代表する強打者・大豊泰昭 豪快さと脆さを持ち合わせた「大砲」

大豊泰昭氏が先日51歳の若さで亡くなった。90年代のドラゴンズを代表するスラッガーだった。

2015/01/24

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90年代を代表するドラゴンズの大砲

 大豊さんが亡くなった。
 中日と阪神で活躍した大豊泰昭選手。病名は急性骨髄性白血病。まだ51歳という若さだった。山本昌と2歳しか違わないし、そもそもドラゴンズへの入団は大豊さんのほうが後だ。

 僕の知り合いが、「現役を知っている選手が亡くなるのは初めて」と言っていた。
 たしかに現役時代の活躍を知っているドラゴンズの名選手の死に直面するのは初めての経験かもしれない。

 大豊さんは1990年代のドラゴンズを代表するスラッガーであり、その名の通り「大砲」だった。ふわっと放物線を描くようなアーティストではなく、力でねじこむ弾丸ライナーのホームランが印象に残っている。しかも、スタンドの中段や上段にぶちこむのだからたまらない。

 現役14年間で通算277本塁打。多いような、少ないような、よくわからない数字だ。
 通算安打数が1089本だから、だいたいヒット4本に1本の割合でホームランだった計算になる。打数をホームラン数で割った本塁打率では、山本浩二、清原和博、落合博満といった名だたる強打者を上回っている。

 当然ながらクリーンアップでの出場が多かったが、失礼ながらドラゴンズファンからしてみれば、頼りになる中軸というイメージはそれほど強くはなかった。当たればデカい、弱点を攻められると脆い。トレードマークの一本足打法は、強打の象徴というより、脆さの象徴だった。

 大豊さんのムラっ気は、そのまま2位と5位を行ったり来たりしていた当時のドラゴンズの順位に直結していた。大豊さんは『国民的行事』10.8決戦でドラゴンズの四番を務めているが、結局無安打に終わっている。その勝負弱さが、90年代のドラゴンズであり、その代表的な選手だった大豊さんだった。そういう意味では、裏ミスタードラゴンズという感じがしないでもない。

 96年の山崎武司、大豊、中村武志というゴツゴツした6番、7番、8番は、大豊さんにとっては屈辱的だったかもしれないが、よくハマっていた。この年、大豊さんはホームランを38本打っている。しかし翌97年には広いナゴヤドームに移転したこともあって12本に終わっている。その翌年にはもう阪神にトレードされた。阪神を経て、ドラゴンズに戻ったものの、最後の2年間のことはあまりよく覚えていない。

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