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郭俊麟は同胞の先輩たちに並べるか?カギは「愛される力」

昨年のドラフトで指名を受けた選手たちが顔を揃える、西武の新人合同自主トレ。1月9日から始まった、このトレーニングに異色のルーキーが参加している。台湾出身の期待の投手・郭俊麟である。同胞の先輩で、同じく西武に在籍した郭泰源や許銘傑のような存在になるために必要なものとは?

2015/01/17

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西武の台湾出身投手は愛されていた

 歴史的に見て、西武には台湾出身の好投手を輩出してきた。郭泰源や許銘傑が、その代表格として挙げられるだろう。
 
「オリエンタル・エキスプレス」の異名を持つ郭泰源は、1985年に郭俊麟と同じようにプロ経験のないまま西武へ入団。前年のロサンゼルス・オリンピックでチャイニーズ・タイペイ代表の銅メダル獲得に貢献するなど、鳴り物入りでの日本球界入りとなった。
 
 最速156キロのストレートを武器に、ルーキーイヤーには早くも3完封を含む9勝(5敗)をあげる。その後も先発の一角として活躍を続け、1988年と1994年には最高勝率のタイトルを獲得。また、15勝をあげた1991年にはMVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞すべてに選出されるなど、日本球界随一の投手として活躍した。
 
 1997年に引退するまでに117勝(68敗18セーブ、防御率3.16)をあげた郭は、球団史上最高の外国人投手として、今でも多くの西武ファンの心に焼きついている。
 
 メガネがトレードマークだった許銘傑は、台湾プロ野球の台中金剛から2000年に西武へ入団。先発・中継ぎを問わず、チーム状況に応じて、任された役割を黙々と全うしていった。武器は種類豊富な変化球。これらを巧みに手繰り、西武に在籍した12シーズンで通算49勝を挙げた。
 
 十分な実績や仕事ぶりもさることながら、郭泰源と許銘傑に共通しているのは、ファンやチームメイトから愛されたことだろう。親しみやすい人柄に加え、拙いながらも一生懸命に日本語で話そうとする姿は、多くのファンの心をとらえた。
 
 郭俊麟も、同じルーキーの高橋とLINE(ライン)のアドレスを交換するなど、チームや日本の野球に馴染もうと努力している。
「言葉は通じないけど、何とかコミュニケーションを取っていきたい」と、練習同様にチームメイトとの関係作りにも前向きだ。
 
 ちなみに、郭俊麟の背番号は同胞の先輩・郭泰源が入団2年目まで着けていた〝12〟。投手としての潜在能力は申し分ないだけに、チームメイトやファンから愛される存在となれば、郭泰源から許銘傑と続く系譜に名を連ねることができるだろう。

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