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阪神・髙山俊、通算8人目の新人王に。歴代は軒並み苦戦、真価問われる2年目

阪神タイガースの髙山俊が新人王を獲得した。阪神では通算8人目となる。

2016/11/29

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2年目に頭部死球で大怪我を負った田淵。赤星は自打球骨折

 1年目から阪神の正捕手となった田淵は22本塁打を放ち、新人王を獲得。しかし、2年目の70年に大きなアクシデントに見舞われる。8月26日の広島東洋カープ戦(甲子園)で、7番・捕手の田淵は第2打席に広島の外木場義郎から左の頭部に死球を受けてしまう。左耳から流血し、倒れ込んだ田淵は担架で運ばれ、そのまま病院へ。左側頭葉の脳挫傷や左耳鼓膜一部損傷など、全治3カ月の大怪我を負ってしまう。
 
 幸いにも選手生命の危機を免れた田淵だったが、これにより2年目は89試合の出場に終わってしまう。また、田淵のこのアクシデントは、現在のプロ野球では当たり前となった「耳あて付きのヘルメット」が考案されたきっかけとなっている。
 
 田淵と同じく2年目に怪我を負って離脱してしまったのが、01年新人王の赤星。1年目に39盗塁を記録し、新人としては55年ぶりの盗塁王に輝くと、同年はゴールデングラブも獲得。しかし、2年目の02年4月18日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で右ひざ付近に自打球を当て、右脛(けい)骨骨折。この年は78試合の出場で、打率.252という成績に終わる。それでも26盗塁を記録して2年連続盗塁王を獲得。自慢の足で存在感を放った。
 
 赤星はその後、5年連続で盗塁王を獲得。09年オフに33歳の若さで現役を引退するが、直接の原因となったのが同年9月12日の横浜ベイスターズ戦(甲子園)の守備で、ダイビングキャッチを試みた際に受けた「中心性脊髄(せきずい)損傷」という大怪我だった。07年にも「頚椎(けいつい)椎間板ヘルニア」を発症し、まさに怪我と闘い続けた赤星。ガッツあふれるプレーで甲子園を沸かせた“レッドスター”は、記録だけでなく記憶にも残る選手だった。
 
 投手陣に目を向けると、94年に9勝9敗の成績で新人王となった藪恵市は、2年目は7勝13敗と負け越し。96年~98年は3年連続で2ケタ勝利を挙げるも、勝ち越したのは98年(11勝10敗)のみ。その後は02年に10勝6敗でキャリア4度目の2ケタ勝利を達成している。阪神の低迷期をエースとして支え続けた投手だった。
 
 07年の上園啓史は、この年がキャリア最高の年となってしまった。8勝5敗、防御率2.42の成績を挙げて新人王を獲得したが、2年目は4勝0敗、防御率3.14の成績に終わる。11年オフにはトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。楽天での3年間は1勝も挙げられずに15年オフに戦力外通告を受けた。
その後はオランダリーグなどでプレー。来年からは独立リーグ「ルートインBCリーグ」の滋賀ユナイテッド初代監督として指揮を執る。
 
 阪神で新人王を獲得し、2年目以降も中心選手として活躍した選手もいれば、怪我と闘い続けた選手もいる。髙山は来季どんなプレーを見せてくれるだろうか。2年目のジンクスを打ち破り、甲子園のグラウンドで背番号9が新たな歴史をつくる。

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