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的場寛一、ドラフト1位の肖像#1――忘れられない、阪神入団を決めた時の父の一言

1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。

2016/12/01

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田崎健太

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成長の歯車が噛み合った瞬間

「どこでバチッと歯車が合うかは分からない。人の成長はちょっとした一言や、出会いで変わってしまうんです」

的場寛一は自分に言い聞かせるような口調で言った。

的場は77年、兵庫県尼崎市で生まれた。小学生からボーイズリーグの『兵庫尼崎』で野球を始めている。ボーイズリーグは小、中学生を対象とした硬式野球リーグである。その後、愛知県の弥富高校、九州共立大学に進んだ。
そして、1999年のドラフト会議で阪神タイガース1位で入団。

「小学生のときは、そこそこ(野球が)出来ていたから、(将来は)プロ行けるんちゃうかなって思っていました。でも中学校に行くと、周りは大きいのばっかり。中学校の途中から大きくなっておいついた感じですかね。高校は普通の選手でした。ぼくが伸びたのは大学ですね。練習メニューは自主性に任せていて、短所を直すというより長所を伸ばすというチームだったんですよ」

成長の〝歯車〟が噛み合ったのは、大学2年生のときだった。兵庫尼崎の先輩からこう言われたという。

――お前、将来どうしたいんや? 正直な気持ち言うてみ。恥ずかしがらんでええねん。

プロ野球選手になりたいと答えた的場に、その先輩は「その目標に向かって、逆算してみろ、プロ野球選手になるためには、どうすればいいのか考えろ」と言った。

「(プロから指名されるには)大学時代に首位打者とかのタイトルを獲って、全日本に選ばれる。それにはどんな練習をしたらええのか。そんなことをノートに書いていって、(課題を)クリアして行ったんです」

98年、大学3年のとき福岡六大学野球の春のリーグ戦で首位打者、そしてIBAFワールドカップ日本代表に選出された。このときのチームメイトには、二岡智宏、上原浩治らがいる。特に記憶に残っているのは、1学年下の阿部慎之助だった。

「昔から、こいつは(モノが)ちゃうなっていうのはありましたよ。性格も明るいし、プロ向きやと思ってみてました」

的場もまた、俊足巧打の遊撃手として99年度ドラフトの目玉選手の一人として名前が挙がるようになった。

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