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山田哲人はなぜスターダムにのし上がったのか#1――恩師が目の当たりにした驚異的な変貌

2年連続トリプルスリーを達成し、あっという間に球界を代表するスター選手へ駆け上がった山田哲人。きっかけは高校時代にある。

2016/11/26

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類い稀な才能が全く生かされず

「最近になって思うのは、成功体験って大切だということですね」
 
 山田の今の姿を回想してもらうと、そんな言葉が返ってきた。指導者になって30年を迎えた岡田にとって、山田の成長を見つめるなかで感じたのは高校生の成長要因だ。
 
 というのも、もともと山田哲人という男は今の姿を想像できないほど、プロ向きの性格をしていなかったからである。
 
 岡田は回想する。
 
「ホンマに、ええ素材を持っているのに、もったいない選手やなって、監督の僕だけではなくてコーチたちといつも話題にしていました。もっと真剣に取り組んだら、持っている才能が開花するのにと思って大半を過ごしていたというのが本音なんです」
 
 山田は中学時代からそれほど名が通っていた選手ではなかった。同じリーグに、中村奨吾(天理、早稲田大―千葉ロッテ)がいたが、中村のほうにやや分があったくらいだ。
 
 履正社高と山田との間に接点が生まれたのは、当時から今もつながりのある山田の出身のチームから「山田本人が履正社を希望している」という情報がはいってからのことだ。
 
「ウチに来たい選手だということで見に行ったんです。山田は6番を打っていました。そんなに目立つ感じではなかったんですけど、足が速いし、身体も恵まれていたし、いい選手やなと。本人が希望してくれるなら、ぜひ来てもらおうやないかということで来たんです」
 
 そんな山田を、岡田は入学して早々から起用した。手元で山田をみると、それは運動能力が高い選手だったからだ。
 
 将来のチームを背負って立つプレイヤーになる――そう思った岡田は1年夏の北大阪大会決勝の大阪桐蔭戦の大舞台に山田を抜擢している。浅村栄斗(西武)を擁し、その後、甲子園を制覇したチームとの試合で先発させているのだから、指揮官の期待の大きさを想像できるだろう。
 
 もっとも、その試合に敗れたあとの新チームになってからも期待は薄れず、岡田は起用を続けた。
 
 しかし、想像外なことがあった。
 山田の野球への取り組みが期待したほどではなかったのだ。
 
 岡田は首を傾げながらにいう。
 
「特に足を引っ張るとか、チームの空気を悪くするとか、そういうことをする選手でないんです。けど、努力するわけではなく、『将来、野球で飯を食っていく』というような想いをもっているようではなかったですね。こちらから、色々、モチベーションを高めようとしたんですけど、全然、響かなかった。そんな程度の取り組む姿勢なんやったら、公立でやりゃええのにと思うくらいでした」
  
 こういうタイプの選手は育てるのが難しいと、岡田監督は常日頃から思っている。
 例えば、過去にプロ入りしたT‐岡田(オリックス)たちだと明確にプロになりたいという意思があった。そうなると、指導もしやすいのだ。
 
「T‐岡田は、入って来た時からプロに行きたいという意思がありました。だから、こちらが指導するとしたら、そのためには何をせなアカンから話すことが出来るわけじゃないですか。プロに行くためには、バッティングだけをやっとったらアカンやろ、ちゃんと守備も走塁もやらないといけないし、全力で一生懸命やれよ、と。するとT‐岡田はやりましたからね。1年生の時点での意識の違いは岡田と山田では雲泥の差でした」
 
 山田には事あるごとに伝えていくが、なびかない。能力はあるのに、取り組む姿勢に欲がなく、持って生まれた類い稀な才能が全く生かされなかった。ただ時間だけが過ぎ去っていくだけだった。

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