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辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――「戦力外通告にほっとした。野球人生に悔いなし」【連載第5回】

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2016/11/01

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田崎健太

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肘が悲鳴をあげた日

 2007年2月、高卒2年目の辻内崇伸は読売ジャイアンツの1軍キャンプに参加していた。
 キャンプ開始から5日後のことだ。

 前シーズン、堀内恒夫から原辰徳に監督が交代していた。4月こそ好調だったが、その後は失速。球団史上初となる2年連続Bクラスという成績だった。原はチームの雰囲気を変えなければならないと、キャンプを精力的に動きまわっていた。

 ジャイアンツのキャンプは、2月の宮崎の風物詩でもある。キャンプ地への道は、見物客の車でぎっしりと埋め尽くされる。辻内たち、投手が投げるブルペンも何重もの人垣に囲まれていた。

 原はブルペンに顔を出すと、「そんな球でいいのかよー」と観客に聞こえるように大声を出した。キャンプに足を運んでくれているファンへ原なりのサービスだった。

 その日、観客から多くの拍手が出れば投球練習を終了することになっていた。

 以下は辻内の回想である。

「10球ぐらい、肘が痛いまま投げていました。ああーって叫びたいぐらいの痛み。それでも投げなあかんと思って投げたら、ボールが変なところに行ったんです。投げた後、声が出せないぐらい肘が痛かった」

 その様子を見た原は「お前、もういいよ」と辻内に引き揚げるように命じた。ブルペンから出て、軽くランニングをしている最中、肘をさすってみた。肘の辺りが麻痺しているようで、動かすと痛い。チームドクターに相談すると、患部を冷やし、明朝に様子を見ることになった。

 すると――。

【次ページ】痛みとの闘い

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