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辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――「ドラ1の宿命、自分の扱いは『異常だ』」|第4回

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。(2016年10月31日配信分、再掲載)

2020/04/09

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田崎健太



肩の異変と、2年目春季キャンプで1軍に抜てき

 メディアからの注目に加えて、辻内はプロの練習の厳しさに面食らっていた。
 
「プロでもこれほど練習するんだというぐらい。キャンプは厳しかったですし、その後もそうでした」
 
 そんな中、肩の痛みが出ていた。
 
「野球やっている人はみんなそうだと思うんですけれど、古傷はいっぱいあります。中学生のとき、肘の痛みで半年投げられなかった。でも、手術はしていない。自然治癒です。肩も高校のときに無理して投げて、痛いと感じることもありました。でも1カ月休むと治った。ちょくちょく痛めるけど、軽度で終わっていた」
 
 しかし、プロではそうはいかなかった。
 
「プロに入ったら毎日投げる。痛くて投げないと怪我人にされてしまう。お金を貰っている以上、野球をしなきゃいけない」
 

 
 2006年シーズン、辻内は2軍戦であるイースタンリーグで13試合に登板、3勝4敗、防御率6.04という成績だった。2軍の選手を対象としたフレッシュオールスターに選出されたが、肩の痛みを理由に辞退している。
 
 そして2007年シーズン、2年目の辻内は1軍のキャンプに参加することになった。
 
〈2年目を迎えた左腕が、初めて自己主張した。巨人・辻内崇伸投手(19)が2日、2日連続でブルペン入りし、開幕ローテ奪取を誓った。この日は原監督が見守る中、38球の投球練習。「最後まで生き残った人が1軍のローテに入るので、そこまでけがなく頑張っていきたい」と宣言。期待を込めて、1軍キャンプに抜てきした指揮官を喜ばせた〉(『スポーツ報知』2月3日付)
 
 この投げ込みが辻内の選手生命を左右することになった――。 
 

 
 

【プロフィール】
辻内崇伸(つじうち・たかのぶ)
 
大阪桐蔭高校3年時、夏の甲子園1回戦の春日部共栄戦で152km/hをマーク。一気に注目を浴びる。2回戦の藤代戦では当時の大会タイ記録となる19奪三振を記録。同校をベスト4へ導く原動力に。05年の高校生ドラフト会議では読売ジャイアンツとオリックス・バファローズとの競合の末巨人が指名権を獲得し、1巡目指名で入団。しかし、プロ入団後は度重なる故障に悩まされ、結局06年から引退する13年まで一軍公式戦出場はなかった。引退後、2014年より日本女子プロ野球機構(JWBL)の埼玉アストライアのコーチ、2016年からはレイアのコーチを務める。
 
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ドライチ ドラフト1位の肖像

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