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辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――「大阪桐蔭に入学した時、僕は平民以下の存在だった」【連載第1回】

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2016/10/20

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辻内

同級生でずば抜けていた平田

 2006年の高校生ドラフト1巡目で読売巨人軍から指名された辻内崇伸が高校の野球部に入ったときにまず感じたのは、全く歯が立たないという無力感だったという――。

 彼が入学したのは大阪府の中で才能が集まることで知られる大阪桐蔭高校だった。

 大阪桐蔭は大阪産業大学高等学校の分校として83年に設立されている。野球部は91年春の選抜高等学校野球大会に初出場、この夏の高等学校野球選手権大会には初出場初優勝という快挙を成し遂げた。

 大阪桐蔭の野球部には、学校側から誘われて入って来た「特待」「準特」、そして一般入試後「セレクション」を受けて入ってくる三種類の部員がいた。辻内はこの三番目に分類される。

「3年生に三島(輝史 2003年千葉ロッテマリーンズドラフト5位指名)さんがいて、一個上にも凄い人が沢山いた。そして同級生に平田がいて……。なんじゃ、これって」

 特に辻内が圧倒されたのは、同じ年の平田良介(現中日ドラゴンズ)だった。

「(平田は)凄いというもんじゃないです。体つきがまず1年生じゃなかったです。普通、1年生から走ったりして身体を作って行くのに、一人だけもう出来上がっていた。サイボーグみたいな感じ。ああ、これが本物の平田や、という感じでした」

 平田の名前は大阪一円で知られていた。1年生で唯一、入学直後から上級生に混じって練習参加が許されていたという。

「自分らは〝平民〟っすね。いや、平民以下でした。特待、準特、セレクションってそれぞれグループになって固まるんです。ぼくたちセレクション組は静かにしていました」

 野球部の1学年は約20人。

「授業が終わったら着替えて、ダッシュでバスに荷物を詰め込む。そこから5キロぐらいの山道を走ってグラウンドに行く。すると(バスに乗った)先輩たちはキャッチボールをしているんです。ぼくたちは(グラウンドの外にある)砂利道でキャッチボール。トスバッティングも砂利道です。それが終わったら草むしり。グラウンドの中に入れるのは、最後のグラウンド整備だけでした」

 その後も1年生は先輩の練習につき合わなければならない。

「先輩のティー(バッティング)を上げて……練習が終わるのが夜の11時半とか12時。それから先輩のユニフォームを洗って寝るのは2時とか2時半とか。1年生、2年生、3年生って、寮の部屋は別々なんです。そこだけはホンマに幸せでした」

 辻内が、グラウンドで練習できるようになったのは、夏の大会が終わり、3年生が引退した後からだった。

「まずはランニングで1、2(と声を出して足を合わせること)から始まるんです。そこまでは練習は全然やっていないです」

 能力の高い選手が集められた大阪桐蔭では、この段階でもまだ、辻内は全く期待された選手ではなかったという。

 辻内によると、2年生に7人、同じ1年生にも6、7人の投手がいた。辻内は自分で、下から二番目の力しかないと考えていた――。

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