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育成選手から目指す「ポスト阿部」田中貴也 人生最大のピンチを救ってくれた母のために

 諦めかけていたドラフト指名は、思わぬ形で田中貴也(山梨学院大)のもとに知らされた。巨人育成ドラフト3位指名。ポジションはキャッチャーだ。阿部慎之助のコンバートで枠が1つ空いたとは言え「1番下からスタート」と言えるが、母譲りの行動力でどん欲に「ポスト阿部」を目指していく。

2014/12/28

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Yu Takagi

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田中貴也顔写真2

「恩返し」と色紙に記した田中。一番の武器であるスローイングを中心に、まずは守備からアピールしていきたい

諦めかけていたプロ入り

 吉報は、母からの電話だった。

「巨人に指名されたよ」と受話器の向こうではしゃぐ母・一代(かずよ)さんに思わず「えっ?」と驚かずにはいられなかった田中貴也だが、すぐさま喜びにあふれた。

 実は、指名の可能性を示す調査書が届いていたのは日本ハムのみ。日本ハムは、育成選手を獲得しない方針ということもあり、育成ドラフトが始まると田中はTwitterでの速報画面に目を通してこそいたものの、その電波が悪くなり更新が滞ると携帯を閉じ、「あぁ、やっぱり厳しいな……」とこれからのことを考えていた。そんな矢先の巨人育成ドラフト3位指名だった。

 そして数日後、高校時代を過ごした石垣島に田中と一代さんは挨拶へ向かい、その夜には当時の保護者や学校関係者・OBらによる盛大なお祝いが催された。「それが本当に嬉しかった」と2人は声を揃える。

京都から憧れの八重山商工へ

 京都府南丹市で生まれ育った田中が、沖縄県石垣市にある八重山商工高を進学先に希望したのは中学2年の夏。甲子園での大嶺祐太(ロッテ)らの活躍に触発された。ただ当時の田中は本人いわく「守備は当時から自信ありましたが、打つのは全然」という実績もない普通の軟式野球少年。呼ばれるでもなく、自らの意志で挑戦を決めた。

 だが入学後は苦労の連続だった。初めての寮生活に加え、伊志嶺吉盛監督の猛烈なスパルタ指導。もちろんそれを承知で、むしろその環境を望んでの進学だったが、それは当時の田中の想像を遥かに越え「もう毎日辞めたかったです」と当時を苦笑いで振り返る。

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shiro





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