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「横浜はいいチームになった」DeNA三浦大輔引退会見全文〜前編〜

横浜DeNAベイスターズの三浦大輔が、ついにユニフォームを脱ぐ。 三浦は91年、奈良県の高田商高からドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。92年にデビューを果たすと、93年9月4日の広島戦でプロ初勝利。94年にローテーション入りすると、97年に自身初めてとなる2ケタ勝利をマーク。98年にはエースナンバー「18」を身に纏い12勝を挙げ、チームも38年ぶりの優勝を果たした。6度のオールスター出場、04年にはアテネ五輪に出場した。同一チームに所属した年数25年は、昨季に引退した山本昌に次ぐ歴代2位のフランチャイズプレイヤーとなった。 2014年からは投手コーチ兼任でチームを支えてきたが、9月20日、ついに現役引退を表明する記者会見を開いた。以下、三浦大輔選手の会見全文だ。

2016/09/20

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「まさか25年やれると思わなかった」

――三浦選手よりご挨拶をさせていただきます。
 
本日は雨の中、お集まりいただき、ありがとうございます。
私、三浦大輔は今シーズン限りで引退します。高校を卒業して、横浜大洋ホエールズに入団して今年で25年目、25年間本当に横浜の街で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。うれしかったこと、苦しかったことありました。皆さんに支えられて一歩ずつ進んでくることができました。昨日、クライマックスシリーズに出場することが決まり、シーズンを全うして終わろうという形で話してきましたので、本当にもう少しシーズンがありますけど、1日でも長く今のユニフォームを着て今の選手たちと一緒に戦えるようにやっていきたいと思います。色んな想いがありますけど、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

――高田GMからひとことお願いします。
 
えーっと。この16日の甲子園の阪神戦が終わった後に、ホテルで、私とラミレス監督と球団社長の3人がそろったところで、三浦選手が現役引退したいという話があり、了承するしかなかった。大きな柱を失うことで痛手ですけど、今後ともチームの力になってもらいたいと思います。

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【代表質問】
――25年間、本当にお疲れ様でした。今、引退を決意されて、率直な今の気持ちから教えてください。
 
いろいろ考えて、決断してからもなかなか伝えられていなかったんですど、今、こういう場で伝えられて、ちょっとすっきりしています。

 

――おそらくファンもそうですし、我々報道関係の人間もそうなのですが、まだやれるだろうと思ってみていました。決断した理由は何だったんでしょう?
 
勝てなくなったからです。引退という文字は、今年だけでなく数年前から頭にありましたけど、まだできる、もっと勝ちたいという気持ちもありました。先発ができなくなったら、勝てなくなったらと辞めると決めていましたので、今年8月、その前に7月に先発させてもらって打たれて、8月まで声が掛からず、その時には僕の気持ちは固まっていました。ただ、もう一度勝負したいという気持ちはあったので、9月の頭に甲子園の先発を言われて、それまでは誰にも伝えないでおこうと、そういう感情を抜きにして真剣に勝負したいというところで、その時点では勝とうが負けようが今シーズンでという気持ちはどこかにあったんですけど、言いたいけど、言えないもやもやはありました。

――決断するにあたって、どなたかに相談はされたりしたんでしょうか?
 
もちろん、家族には話はしましたし、最終的には自分で決めました。

 

――引退をすると決めた時の奥様の反応はいかがでしたでしょうか?
 
残念がっていた。子どもたちも「まだできるんじゃないの?」っていう気持ちもあったんですけど、でも、プロの世界は厳しい。その辺はしっかりとやり残したいことがないように、精一杯やると、甲子園での試合にも来てくれましたし、そこで投げれた。

 

――チームメイトにはいつ伝えたんでしょうか?
 
昨日の試合後に伝えました。昨日の試合後に伝えるのは決めていましたけど、会見前に言いたかったので、喜んでいるロッカーで伝えるのもどうかと思ったんですけど、チームメイトに伝えることができて良かった。

 

――どんな言葉を掛けられましたか?
 
「ほんとっすか?まだ辞めないでください」。今日も練習で言われましたけど、うれしかったですね。

 

――25年というと、四半世紀になりますけど、何が支えになりましたか。
 
まさかプロ入った時に25年もやれると思ってなかった。本当に1年1年が勝負だと思ってやってきましたし、悔しい、負けたくない、勝ちたいという気持ちがあったからこそ、苦しい練習もできました。試合で勝った時に、たくさんファンのみんなが喜んでくれるのが一番うれしかった。あそこにもう一度立って一緒に喜びたい。負けたら悔しいから、もっと練習したいと思ってやってきた25年間でした。

 

――この25年間を振り返って、一番の思い出は?
 
なかなか一つにしぼれないけど、やっぱり98年に優勝した時ですね。優勝したら、これだけうれしいものなのかと。すべてが報われたというか。1年間のしんどいことが吹き飛んだ。98年の優勝はそれだけ最高でした。

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