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東京ヤクルト・山田、履正社時代の勝負弱さを練習と意識で克服。同世代のトップ選手へ大成

今や日本球界を代表する選手へ成長を遂げた東京ヤクルトの山田哲人だが、高校時代は勝負弱い打者だった。

2016/08/01

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T-岡田から学んだプロの意識

 そうなる要因は山田自身の意識の低さからだった。
 当時の山田はプロを夢見てはいた。しかし、それは漠然としてでしかなく、プロに行くためにはどうすべきかの青写真を描けていなかった。高校時代の恩師・岡田龍生監督は「この子は、本当に私学で野球をやりたいと志してうちに来たんかな」と話していたことがあった。

 ところが、このPL学園戦のあと、山田は意識を変える。自分の責任で試合に負けたことが引き金になり改心したのだった。翌年のドラフトには自分が必ず指名されるのだと練習の取り組みから意識を変えたのだ。

 なかでも、当時の山田を後押ししたのは、同年、パリーグのホームランのタイトルを獲ったばかりの先輩・T‐岡田(オリックス)の存在だ。その年のオフ、母校の履正社にトレーニングにやってきた時、T‐岡田からプロの意識を目の当たりにし、山田は取り組みを変える決心したとこう回想している。

「それまでの僕は打って『アウトや』と思ったら、ゆっくり走っていました。そういうところから、全力で走るとか、何事も全力でやるようになりました。それはT‐岡田さんから言われました。一つ一つを大事にして、野球を考えて取り組めと。日ごろからの毎日の積み重ねが大事だと言われました。PLに負けた秋の悔しさ、ドラフト、岡田さん、すべてが重なりました」

 練習では手を抜かないのはもちろんのこと、「ここイチ」の強さを育むため、フリーバッティングであっても、常に実戦を想定してとりくんだ。ただ好き勝手に打つのではなく、場面を描く。“2アウトランナー三塁、1点負けている”、という風にだ。

「練習からプレッシャーを掛けてやっていたので、試合でもプレッシャー慣れというのができてきました。自分はこんだけ練習をやってきたんだという自信を持つことができて、堂々と打席に立って打つことができました。それが春の成績につながりました」

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