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古巣・広島で息を吹き返した新井貴浩。一時は記録達成危ぶまれるも……山あり谷ありの2000安打

4月26日、カープの新井貴浩がついに通算2000本安打を達成した。この記録を達成するまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

2016/04/27

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古巣に復帰し記録達成

 新井貴浩がついに2000安打を記録した。NPB史上47人目。
 NPBは1936年の創設以来約80年に及ぶ。この間、6000人以上の選手が入団したが、1000安打以上は282人、1500安打以上は117人、そして2000安打以上は47人、ほんの一握りの選ばれた選手しか達成できない大記録だ。

 新井が2000安打を打つのに要した試合数は2112試合。これは、歴代では8番目に多い記録(1位は谷繁元信の2803試合、最も少ない記録は川上哲治の1646試合)。
 また39歳2カ月での達成は、歴代では15番目に遅い記録(最年長は和田一浩の42歳11カ月、最年少は榎本喜八の31歳7カ月)。
 新井の2000本安打は、順調にキャリアを積み重ねた結果ではなく、山あり谷ありのドラマを経てのものだった。

 新井貴浩は、広島工から駒沢大を経て1998年ドラフト6位で地元広島に入団。
 この年は甲子園を沸かせた松坂大輔、新垣渚、東出輝裕、大学野球のスター上原浩治、二岡智宏、社会人の実力者福留孝介、岩瀬仁紀など、そうそうたる顔ぶれが指名される豊作年だった。

 ドラフト6位の新井は、目立たない新人だったのは間違いない。
 新井は1年目から代打などで活躍したが、一塁には町田康嗣郎、浅井樹、嶋重宣、三塁には江藤智、ロペス、野村謙二郎などの選手がひしめいていたため、レギュラーの座は遠かった。
 一塁、三塁を掛け持ちしながらはじめて規定打席に達したのは4年目の2002年、25歳の年。

 翌2003年に金本知憲がFAで阪神へ移籍してからは次第に中軸打者に成長。2005年には43本塁打で初タイトルを取った。

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