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1打席でその後のスイングが狂うことも……落合博満氏が語るプロ野球人生を左右する“一球の重み”【横尾弘一の野球のミカタ】

たった一打席、一球で自分の人生を良くも悪くも変える。それがプロ野球という世界だ。

2016/03/29

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自分のスイングを取り戻せず

 そうして三冠王3度の大打者となった落合は、再び野球人生を変える一球を体験する。1986年11月3日、西武球場(当時)で開催された日米野球第3戦である。
 
 3度目の三冠王を獲得して全日本選抜の四番に座り、2試合で7打数4安打2打点と好調だった落合は、1回表二死三塁の先制機で打席に立つ。この年に21勝を挙げたジャック・モリス(デトロイト・タイガース)のストレートを芯でとらえた打球は、手応え十分でバックスクリーンへ飛んでいく。
 
 ところが、打球はフェンスの手前で失速し、センターフライになってしまう。いわゆる“力負け”したのは初めての経験であり、落合は大きなショックを受けたという。
 
「それで、この悔しさを晴らそうと、2打席目から10の力でボールを打ちにいってしまった。結局、思い通りの結果も残せず、モヤモヤしたまま日米野球を終えることになった。大変だったのは、そのあとなんだ」
 
 翌1987年の春季キャンプに先立って自主トレを始め、バットを振ると、たとえようのない違和感に襲われたのだという。
 
「ロッテから中日へ移籍し、セ・リーグでも三冠王を手にしようと考えていたシーズン。ところが、その三冠王を手にしてきたスイングが別人のもののように変わってしまった。焦りもあったし、自分のスイングを取り戻さなければ、並み以下の打者になってしまうという恐怖感もあった」
 
 結論から書けば、落合は引退するまで自分のスイングを取り戻すことはできなかった。何とかごまかしのバッティングで12年もプレーを続けたのである。
 
 たった一球で自らの野球人生を切り開き、僅か一球で最高のスイングを手放してしまう。そうした体験をしているからこそ、落合は“一球の重み”を強く訴える。
 
「一軍に呼ばれ、1打席でファームに戻された選手が『チャンスをもらえなかった』とか言うでしょう。逆に聞いてみたいよね、『おまえは、その打席が最後のつもりで立ったか』って。私たちは、そういう世界に生きているのだから」
 
 今年も“そういう世界”の幕が開いた。
 
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