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「亡き父へ一軍での勇姿を」ロッテ・香月一也、ネックレスに込めた誓い

プロ野球はすでに二軍の公式戦が開幕している。千葉ロッテ・プロ2年目の香月一也は目標としている一軍昇格に向けて、バットでアピールを続けている。

2016/03/23

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千葉ロッテマリーンズ広報



父の最期に間に合わず

 覚悟はできていた。それでも、別れの日が実際に訪れると涙が止まらなくなった。
 
 プロ2年目の香月一也内野手は石垣島での春季キャンプ中の2月5日午前1時54分に病気のため、最愛の父を亡くした。52歳だった。
 
 プロ入りが決まり、一昨年の12月に大阪市内のホテルで契約を交わした翌日から体調を崩し、ずっと病気と闘っていた。容態が悪くなっていると知らせが届いたのは2月4日の夕方。急きょ、チームを離れ、父のいる福岡に戻ろうとしたが間に合わなかった。那覇経由のため一日、那覇市内で宿泊。その夜に訃報が届いた。
 
「直行便があったら、たぶん間に合っていたと思います。でも、急で時間も遅かったし、それはもう仕方がないこと。石垣を離れる前に最後に電話で話をしました。『おお、一也か。頑張っているか?』と。その声をボクは忘れることができない」
 
 ロッテ浦和球場に隣接する室内練習場。試合後に複数の野手が打ち込みを続けていた。その中で最後になるまでバットを振り続けた香月は、長く続いた練習を終えると芝生に座り込んだ。そして尊敬する父を思い返した。
 
「優しい人。友達も多い人で家にはいつも誰かが遊びに来ていた。ボクの友達も自分の子どものように接していた。だから、お通夜には500人も参列者が来た。その光景に改めて慕われていたんだなあと感じました。人に心配をされるのが嫌な人。だから、病気のこともなかなか言わなかった。優しい人だった」
 
 香月が父の状況が悪化していることを認識したのは地元でのトレーニングを終え、キャンプに向う準備をしている1月だった。その前年の12月には家族水入らずで、大分の温泉に行った。4歳年上の兄の結婚式でも父は言葉を振り絞ってスピーチをしていた。そんな思い出が残る中、帰り際、母に告げられた。「アンタが関東に戻ったら、入院することになる」。涙ながらに話をした母の姿にすべてを察した。何も言えない自分がいた。

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