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通算24勝63敗6分、侍ジャパンは全米代表に勝ち越せるか?【広尾晃の「ネタになる記録ばなし」】

ブログ「野球の記録で話したい」を運営中で『プロ野球解説者を解説する』(イーストプレス刊)の著者でもある広尾晃氏。当WEBサイトでは、MLBとNPBの記録をテーマに、週2回、野球ファンがいつもと違う視点で野球を楽しめるコラムを提供していく。第17回目は、12日に開幕する日米野球についてだ。

2014/11/10

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06年の対戦では、1勝もできなかった日本

 さて、422試合(親善野球)行われた「日米野球」のうち、全米と全日本の対戦は、93試合あった。もう少し詳しく見ていこう。

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 最初は1931(昭和6)年11月12日、群馬県前橋球場で行われた試合。ルー・ゲーリッグやオドールなどの強打者の前に、宮武三郎らが主力の日本チームは1-14で惨敗。わずか1時間20分で負けた。
 1934(昭和9)年には、引退間際のベーブ・ルース、ゲーリッグらの一行と日本選抜が対戦。11月20日、静岡草薙球場で沢村栄治が米打線をゲーリッグの本塁打1本に抑える快投を見せる。しかし、それ以外は惨敗を喫した。

 1951年、戦後最初の全米対全日本の戦いでは当時18歳の金田正一が快投をしてフランク・オドール監督に「アメリカに来ないか?」と誘われている。
 1960年代以降は、毎日新聞社と読売新聞社が交互に単独のMLB球団を招聘したため、全米、全日本の試合は設けられなかった。

 1979年に久しぶりに行われたが、11月20日、後楽園で全日本は全米に初めて勝つ。勝利投手は広島の北別府。8回、阪急の島谷金二の逆転3ランが出た。
 1986年以降は2年おきに全米オールスターがやってくるようになる。以後、日本のトップクラスの選手は11月になるとMLBとの力試しを経験するのが恒例となった。

 1990年には全日本が4連勝、ドン・ジマー監督全米の率いる全米オールスターズの顔色が変わった。以後全米は3勝1分と盛り返したが、初めて負け越した。

 1994年はMLB選手会のストライキのため中止。
 96年以降はほぼ互角の勝負となっていたが、2006年の全日本は4敗1分と53年ぶりに1勝も挙げられなかった。

今回の「日米野球」はWBC2017の前哨戦

 前述のように、今回の「日米野球」は、これまでと違って「WBC2017の前哨戦」という明確なテーマがある。また株式会社となった侍ジャパンの旗揚げ興行でもある。真剣味のある試合が期待できるのではないか。
 2014年両軍の戦力を比較してみた。

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 侍ジャパンはソフトバンクの中村晃が怪我で辞退したため27人になっている。日本は、WBCを見据えての若い布陣だ。
 日米のレギュラーシーズンの比較は単純にはできないが、投手陣は明らかに日本のほうが整備されている。
 前田健太、金子千尋、大谷翔平をはじめとする侍ジャパンに対し、アメリカは若手の注目株シューメイカーと岩隈久志がエース格。他は率直に言って戦力的に落ちる。

 野手も侍ジャパンは中田翔、柳田悠岐、山田哲人など伸び盛りの若手が中心。アメリカはアルバート・プホルズは来日できなかったが、ロビンソン・カノ、ホセ・アルチューベなどの注目選手が来ている。

 京セラドーム大阪で第1戦が行われる11月12日は、全米と全日本が対戦してから83年目にあたる。ここから新たな日米野球の1ページが開かれる。

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