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雄平の大ブレイクに見る、投手から野手へのコンバートが成功するための条件

ヤクルトの雄平が今季、打率.316、23本塁打、90打点という高い数字を残し、大ブレイクを果たした。かつて期待の左腕として入団しながら、芽が出ることなく野手にコンバート。転向5年目の今季、チームのクリーンアップを任されるまでになる要因はどこにあったのか。その成功の秘訣を探る。

2014/11/01

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野手から投手に転向して200勝をあげたメジャーリーガー

 投手から野手へのコンバートで成功するケースは、近年のパ・リーグでも目立つ。オリックスの糸井嘉男を筆頭に、西武の木村文紀などの名前があげられるだろう。
 
 最速151キロの投手として2003年に自由獲得枠で日本ハムに入団した糸井は、雄平と同じようにコントロールに苦しみ、プロ入りから2年間は一軍登板の機会にさえ恵まれず、2006年のシーズン当初に外野手へとコンバートされた。

 だが、50m5秒台、遠投120mなど恵まれた身体能力を誇り、左打者ながら逆方向にも長打を打てる打撃センスとパワーを持つ糸井はメキメキと頭角を現す。走攻守すべてでハイレベルなプレーをこなせる外野手として、3度のベストナインと5度のゴールデングラブ賞に輝くなど、いまや日本球界を代表する選手へと成長。今季は自身初となる首位打者を獲得した。
 
 一方、2006年高校生ドラフト1巡目で投手として指名を受けた木村は、2012年までの7シーズンで1勝しかあげることができず、外野手に転向。成功の可能性を少しでも高めようと、同じコンバートの経験を持つ宮地克彦コーチらにアドバイスを求めた。
 
 野手転向後、大活躍を見せる糸井を目標に、手の皮がむけるほど徹底してバットを振り込むなどの努力を重ね、今季はレフトで開幕スタメンを勝ち取った。出場試合数は100を数え、高校通算33本塁打をマークした長打力も開花し、2ケタ本塁打(10本)を達成。来季以降の大成に期待がかかる。
 
 雄平と同じく、高い身体能力と打撃センスを兼ね備え、努力を惜しまない選手は野手転向後に成功への道を歩めるのだろう。
 
 余談にはなるが、雄平や糸井、木村とは逆に、野手から投手へのコンバートで大成功した選手が、かつてのメジャーリーグに存在した。1940年代から50年代にかけて、クリーブランド・インディアンスに所属し、通算207勝という大記録を達成したボブ・レモンである。
 
 入団後の2年間、主にサードとしてゲームに出ていたレモンだったが、野手としては芽が出ず、投手に転向。再びメジャー昇格を果たした1946年に5試合に先発して4勝をあげた。翌1947年には15試合の先発を含む37試合の登板で11勝と、先発投手としての存在感を増していく。この間、野手でもスタメン起用され、日本ハムの大谷翔平と同じように二刀流として活躍した。
 
 その後、3度の最多勝に輝くなど引退する1958年までに207勝をあげた。ちなみに、1956年に200勝を達成したゲームで本塁打を放ち、自らの大記録に花を添えている。
 
 能力に恵まれた人材が投手に集中する日本球界では、野手から投手へのコンバートを成功させるのは難しいのかもしれない。しかし、いつか、ボブ・レモンのような大記録を打ち立てる選手の登場に期待したい。

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