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落合博満、野村克也、王貞治…松中信彦がホークスを退団、歴代三冠王の幕引きは?

2004年の三冠王、ホークスの松中信彦が今季限りでの退団を発表した。過去の三冠王たちの多くは現役生活の晩年に更なる出場機会を求めての移籍を経験している。

2015/10/02

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最後は代打出場を希望した落合

 ソフトバンクの前身、南海ホークスで1965年に戦後初となる三冠王(.320、42本、110打点)を獲得した野村克也は1977年、選手兼任監督を解任されたことを受け、24年間在籍したホークスを退団。
 
 当時42歳、周りからは引退も勧められたがロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から要請を受けて現役続行を決意。ロッテで64試合に出場、翌年は西武ライオンズに移籍したが、西武2年目となった1980年にプロ生活で初めて代打を送られたこと、その選手の失敗を願ったことを悔いて現役引退を決意。
 
 実働26年の大捕手は当時最多となる通算3017試合出場の勲章とともに、45歳でそのマスクを脱いだ。
 
 野村以外にも選手生活の晩年で移籍を経験した三冠王は多く、ロッテで3度の三冠王を獲得した落合博満も、3度の移籍を経験している。
 
 3度目の三冠王を獲得した86年オフにはロッテから中日へとトレード、93年のオフには同年から成立したFA制度を利用して巨人へ移籍した。

 巨人3年目の1996年には42歳にして打率.281、21本、81打点の好成績を残したものの、清原和博がFAで移籍してきたため、出場機会を求め自由契約となり、2年契約で日本ハムへと移籍。
 
 1年目は43歳ながら規定打席に到達したものの怪我の影響もあり、わずか3本塁打と低迷。翌98年には開幕4番の座を勝ち取るも、西浦克拓ら若手の台頭もあり徐々に出番が減少。その年のシーズン最終戦に、代打で出場(結果は一ゴロ)。この日、先発出場を打診された落合は、プロ入り初打席と同じ代打での出場を選んだという。その年のオフに自由契約という形で引退を発表した。

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