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プロ11年目待望の初アーチ、一歩ずつ前へ 青松慶侑、改名で再スタート【マリーンズファーム通信#7】

プロ9年目で初ヒット、初打点。11年目で初本塁打。選手としては遅咲きかもしれないが、着実に前へ進んでいる。9月11日、青松は強い決意から名前の漢字を「敬鎔」から「慶侑」に登録変更をして心機一転、再スタートした。

2015/09/13

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写真提供/千葉ロッテマリーンズ

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プロ11年目の初アーチ

 フルスイングした打球はマリーンズファンで埋め尽くされた左翼スタンドへ消えていった。打った青松慶侑内野手はそれでも必死に一塁を回った。二塁ベース手前でようやくホームランを確信し、走る速度を緩めると、これまでの長い月日を噛みしめるように、悠々とダイヤモンドを一周した。

 2015年6月6日、神宮球場、曇り空のデーゲーム。東京ヤクルトスワローズとの交流戦の四回一死走者なしのフルカウント。スワローズ先発の石川の高めに入ってきたカットボールを完璧に捉えると、気持ちのこもった打球は勢いよく飛んでいった。

 プロ11年目にしてのプロ初本塁打だった。

「相手投手とは去年も対戦があったのでイメージはあった。1打席目にヒットを打てて少し気持ちを楽に打席に入れた。チェンジアップ待ちだったのですが、スピードが同じくらいのカットボールだったので、うまく打つことができた。打球は見ていません。必死に走っていました。一塁ベースを回ったところで、凄い歓声が聞こえて、ああ、入ったのだなあと思いました」

 ダイヤモンドを回りながら、ここまでの11年を想った。2013年に入籍した妻に感謝をし、女手一つで育ててくれた母の優しい顔を思い出した。

 青松が4歳の時に、両親が離婚。

 それ以降、2人の妹と自分の3人を美容院の仕事をしながら、一人で育ててくれた。母がいつも一生懸命に自分たち子どもたちのために朝から夜まで仕事をしてくれていることは子供心ながらよくわかっていた。決して楽な生活ではないことも理解していた。

 高校3年の秋。ドラフトに指名される可能性があるという情報が耳に入った。しかし、一方で今回のドラフトでは指名は見送られる。大学での成長を見てからの指名になるのではないかとの話も周囲から聞いた。そのとき、青松は決めていた。

「高校でプロに指名されなかったら、野球を辞める決意を固めていました。だって、大学までいったら、オカンにめちゃくちゃ負担をかけてしまう。私立の大学に行けるような余裕はウチにはありませんでしたから。自分が働くことで家族を楽させたいと思っていた」

 ドラフト当日。時間だけがどんどん経っていった。指名される気配すらなくなった。野球を諦めかけた最後の最後。ドラフト7巡目でマリーンズに指名された。ありがたかった。

「あのときは本当にうれしかった。契約金は全部、母に渡しました。これからは自分で稼ぐからって。それでもそれから11年目も月日が流れてしまった。ホームランを打つというのはプロ入りした18歳の時からの最初の目標。ホームランってやっぱり憧れがあるじゃないですか。でも、もっともっと活躍しないと自分はダメ。これで満足してはいけない」

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shiro





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