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敬遠策の是非――。選手サイドの自主性が時代の流れを変える

シーズン終盤に個人タイトル争いが激化すると、必ずと言っていいほど議論となるのが、敬遠策の是非。今季は、オリックスが楽天の銀次に対して行った5打席連続四球が、野球ファンの間で話題となった。打率トップを走る自軍の糸井にタイトルを取らせたいオリックスベンチに対して、為す術がない銀次と憤りを覚える楽天ファン。立場の違いから生まれる敬遠策の是非と、その解決のヒントについて考える。

2014/10/16

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繰り返されてきた敬遠策

 森脇監督の立場からすれば当然のことと理解できても、後味の悪さはどうしても残る。
 
 これまでも、観客側にモヤモヤとした感情を抱かせる敬遠策は、シーズン終盤に個人タイトルを争う選手、チームの間で繰り返されてきた。
 
 1991年10月13日の中日対ヤクルト戦。中日の落合博満(当時)は、今季の銀次を上回る1試合6四球を記録。このとき、落合は首位打者を走るヤクルトの古田敦也(当時)を4厘差で追っている状況だった。古田にタイトルを取らせたいヤクルトは、落合のすべて打席で敬遠策を敢行。結果、1試合6四球の日本記録という副産物まで生まれた。
 
 高校野球でも同様のケースが見られた。1992年夏の甲子園で、当時、怪物と恐れられた星稜の松井秀喜が、明徳義塾戦で5打席連続敬遠。松井の豪快なバッティングを期待していたスタンドのファンから罵声が飛び、スタンドから次々とものを投げ入れられるシーンは、現在でも野球ファンの記憶に強く残っている。
 
 また、敬遠球を豪快に振って、抗議の姿勢を示した選手もいる。
 
 2012年、ロッテの角中勝也と首位打者争いを演じていた西武の中島裕之(現・オークランド・アスレチックス傘下)は、そのロッテとの最終戦の第2打席で、2つの敬遠球を大きく空振り。「正々堂々とした勝負がしたい」という抗議を意味する豪快なスイングに、ホームの西武ドームは大歓声に包まれた。
 
 ファンは正々堂々とした勝負を観たいと願い、決して安くはないチケット代を払って球場に詰めかける。その期待を裏切られれば、非難の声を挙げたくもなるのも当然であり、中島のような選手には喝采を惜しまない。
 
 一方で、選手やベンチからすれば、タイトルを少しでも確実なものにできる策があるのなら、それにすがりたくなるのも人情。事実、4日のゲームで〝敬遠された側〟の楽天・星野監督(当時)は、「相手も作戦だから仕方ない」と試合後にコメント。オリックスベンチに一定の理解を示した。
 
 最後に、今季のメジャーの事例に触れておきたい。
 
 今季、アメリカン・リーグのリーディングヒッターに輝いた、ヒューストン・アストロズのホセ・アルトゥーベはニューヨーク・メッツとのシーズン最終戦を前にして、打率.340で首位打者争いのトップに立っていた。2位にはデトロイト・タイガースのビクター・マルチネスが、3厘差の.337で追ってきていた。
 
 アストロズベンチは、首位打者を確実なものにするために、ベンチでの待機を言い渡したが、アルトゥーベは「正々堂々とタイトルを獲りたい」と出場を直訴。最終戦で2安打を記録したアルトゥーベは打率を.341に上げ、逆に無安打に終わったマルチネスを引き離す形でチーム史上初となる首位打者に輝き、ファンから賞賛の声を浴びた。
 
 相手打者を敬遠する。選手をベンチに座らせる。選手にタイトルを取らせるためにチームが施す行為は、親が子を思う気持ちによく例えられる。子(選手)を思う親(チーム)の心といっては、言いすぎだろうか。
 しかし、今季のメジャーの首位打者争いの事例を出すまでもなく、堂々と戦った末にタイトルを獲得したほうが、選手もそして観る側も清々しい気持ちになれることだけは確かだ。
 
 その結果がどうなるかは誰にもわからない。だが、アルトゥーべのように、親(チーム)を乗り越えようとする子(選手)が日本にも表れていい時代ではないだろうか。チームの規律を乱さない範疇での自主性、ファンの期待に前向きに応えようとする姿勢。選手が気概や心意気を持ってこそ、真の意味でのタイトルホルダーが生まれるはずだ。

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