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【MLB】「契約最終年にすべてを」インディアンス、村田透がNPB復帰を選ばなかった理由

今オフ、村田透の去就がスポーツ紙面をにぎわせた。実際に本人もNPB復帰を考えたという。しかし最終的には来年もアメリカでプレーすることを選択した。その理由とは?

2015/12/17

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NPB復帰も考えた

 今年、メジャーデビューし、NPBの一軍登板なしからメジャーへという「アメリカンドリーム」を実現した村田透は来季もアメリカ球界に残留することを発表した。
 一部のスポーツ新聞紙上では「NPB復帰も」と報じられたが、クリーブランド・インディアンスとの契約期間をあと1年残す村田は、メジャー挑戦を続ける道を選んだ。

 日本球団からのオファーは、「どの球団からかは言えない」と断った上で、現実にあったことを認めたが、スターターの椅子とそれなりの年俸を保証されただろう「逆輸入」の道ではなく、あえて茨の道を選んだのはなぜだろう。

 日本球界復帰を考えなかったわけではないと村田は言う。

「そのことは考えましたよ。やっぱり日本は生まれ育った国ですし、(日本球界に)心残りもありました。今でも高校や大学、それにジャイアンツ時代に学んだことが下地になっていますし。それがなかったら間違いなく今年の自分はなかったです。それに、元々メジャー志向というわけでもなかったんで。だから、クビになった後は、12球団合同のトライアウトも受けましたし。(巨人では)一軍で投げていないんで、やりたいという気持ちはありました」

メジャー初先発も自分の状況を冷静に受け止めていた

 大阪体育大学から「上原2世」としてドラフト1位で巨人入りしたのは、もう8年前。
 3年で芽が出ず、トライアウトでの他球団移籍を目指したが、それもかなうことなく、最後に残った選択肢がインディアンスとのマイナー契約だった。それから5年、村田はA級から這い上がってメジャーの先発マウンドをつかんだ。

 しかし、この登板は、ダブルヘッダーによって生じた先発投手不足を補うためにベンチ登録枠が拡大するという特例措置の産物であり、純粋な意味で、メジャーの登録枠に入ったわけではなかった。
 実際、メジャー初先発のマウンドに立った後、すぐに3Aに舞い戻り、その後のシーズン、メジャーのベンチに戻ることはなかった。3A最多の15勝を挙げたにもかかわらずだ。

 それについては、本人は冷静に受けとめている。

「最多勝は別に意識しませんでしたね。何か賞品をもらえるとも聞いていませんし(笑)。チームでも、『よかったな』って、それだけです。他の選手はどう思っているかはわかりませんが、マイナーはあくまで通過点、修行の場と思っているので」

 所属チーム、コロンバス・クリッパーズはインターナショナルリーグで優勝し、3Aのワールドシリーズにコマを進めたが、ここでもエース・村田の登板はなかった。

「アメリカ人は何事にも負けるの嫌いなんで(笑)、エキサイトしていましたが、僕はどうしても投げたいとかはなかったですね」

 ならば、9月になってベンチ枠の広がったメジャーにコールアップしてほしかったのではと水を向けても、村田はあくまで冷静だった。

「いや、それもないと思ってました。あのとき僕はもう40人枠からも外れていましたし、先発ピッチャーもいっぱいましたから。5人で足りるところを、コールアップもあってあの時点で、6人プラス故障者が1人いましたから」

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