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『1.01の法則』『PDCAサイクル』でレベルアップ――県内有数の進学校・相模原が歩む道

県内有数の進学校でもある相模原。県立勢として64年ぶりの神奈川県代表を目指した夏の挑戦は、横浜高に0対3で敗れて4回戦で幕を閉じた。しかし、激戦区神奈川県において厚い私立の壁を越えるための挑戦は終わらない。

2015/07/24

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藤江直人



文武両道を極めて甲子園へ

 明確な目標を掲げながら、心技体を鍛え上げた冬場の成果は9試合で103得点を挙げて春の県大会で決勝戦に進出し、創部51年目にして初の関東大会出場を果たした春の大旋風が証明している。
 
 もっとも、決勝では東海大相模に打ち負け、関東大会では準優勝した川越東(埼玉)にコールド負けして初戦で姿を消した。「私学と戦えるスイングをもう一回作ろう」と佐相監督が再び檄を飛ばしたなかで、頭角を現してきたのが1年生の柴田だった。
 
 グラブさばきに長け、足も速く、打撃もシュアな柴田がセカンドに定着したことで、中学時代には陸上部で相模原市の短距離種目で2位になったチーム一の俊足、木村拓紀を本来のセンターに戻す布陣も完成した。
 
 第1シードであると同時に、強豪私学の厚い壁を破る最強の挑戦者として。満を持して臨んだ夏は名門横浜に屈して幕を閉じたが、二回に2点を先制され、五回には1点を追加されながらも最後まで必死に食い下がった戦いぶりは、サーティーフォー相模原球場を満員札止めの約1万6000人で埋め尽くしたファンの脳裏にさわやかな記憶を残した。
 
 横浜とは昨年の準々決勝でも対戦し、1対11で七回コールド負けを喫している。佐相監督をして「崩れなかった」と評価させた相模原の変化は、特にメンタル面に集約されると言っていい。
 
 昨年も出場していたキャプテンの井口史哉内野手(3年)が、組み合わせ抽選で順当なら4回戦で横浜と当たることが決まった瞬間から、“あること”を実践してきたと打ち明ける。
 
「昨年は淺間(大基)さんや高濱(祐仁)さんがいて、見ているだけで圧倒されたけど、今年は平常心で戦うことができました。実は横浜の応援歌を練習中から口ずさんだり、夜もそれを聴きながら寝ていたんです。開会式でも普通に(横浜の選手たちと)話していたので」
 
 雲の上の存在ではなく、心技体のすべてで対等の土俵で戦える高校生として。横浜は打者によって守備位置を変え、宮崎の配球を読んで決め球の低目のスライダーを捨てるなど、相模原を徹底的に研究して臨んできた。甲子園優勝経験をもつ名門校を本気にさせた真っ向勝負がもつ意義は、悔し涙とともに後輩たちへ引き継がれる。
 
 理学療法士を目指して筑波大学を志望する井口は、今後も野球を続けると明言した上で夢を託した。
 
「甲子園へ行けなかったことには悔いが残るけど、入学してからの軌跡に悔いはありません。後輩たちには甲子園に行ってほしい」
 
  新チームの立ち上げとともに、グラウンド脇のホワイトボードからは引退する3年生の名前や努力目標が消されるだろう。もっとも、ボード上にブランクが目立つのは来年春まで。桜が咲き誇る季節になれば、春や夏における相模原の戦いに胸を打たれ、文武両道を極めて甲子園へ、という夢を抱いた新入生が門を叩いてくる。
 
 5歳から過ごし、指導者としてのスタートも切った相模原市に「恩返しがしたい」と望んだ佐相監督が赴任してから4年目。指揮官の卓越した理論と指導力、父兄やOBを巻き込む真っ赤な情熱、そして黙々と課題を克服する選手たちの地道な努力のなかから芽生えた可能性は、地力の差を味わわされた横浜との一戦を糧にしながら、未来へ向かってまっすぐに、たくましく伸びていく。

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