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怪物松坂にノーヒットノーラン。京都成章キャプテンが振り返る98年【夏の甲子園決勝の記憶】

98年夏の甲子園は、怪物・松坂大輔フィーバーだった。その決勝戦で対戦した当時、京都成章の1番でキャプテンを務めていたのが澤井芳信だ。松坂に対峙した男は、今でもあの夏は忘れられないという。

2016/08/20

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ほろ苦い春のセンバツを経て……

 入学した頃はまだ遠い目標だった甲子園に初めて立ったのは、1998年の春。一次予選、京都の秋季大会決勝、近畿大会の準決勝で敗れはしたものの、近畿大会でベスト4に入った功績を評価され、センバツ大会への出場権を手に入れた。
 
 初めてたどり着いた、憧れの甲子園。だが、澤井が「三回負けて出たチームが勝てるほど全国は甘くない」と振り返るように、大音量の応援や、独特の雰囲気に圧倒され、岡山理大付との初戦は2-18とほろ苦い結果に終わった。不甲斐ない結果に悔しさを噛みしめながら、もっと強くなりたい。もっとうまくなりたい。ただそれだけを願い、宿舎近くの河川敷で「本当に強くなろう」と仲間と共に誓い合った。
 
 それからわずか4カ月。厳しい練習を重ねた日々は瞬く間に過ぎ、迎えた京都大会も前半は僅差の試合ばかりで、中でも準々決勝の大谷戦は5回まで2-6と4点をリードされた状況からの逆転勝利。まさに紙一重の戦いを制しながら、準決勝、決勝と勝ち抜き、最後の夏に京都代表としてまた甲子園に立つ日がやってきた。

「京都だけじゃなく、厳しくて、危ない試合を制した高校が夏は勝つんですよ。そうじゃないのは横浜ぐらい。あそこは別格でした」
 
 1998年、夏。高校野球ファンを沸かせたのは、エースの松坂大輔を擁し、圧倒的な強さでその年の春を制した横浜高校だった。
 

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